医療について ガンジーの言葉

明日、ノンクレドの会があり、資料の整理をしています
いつもこの作業は前日の夜中…
 ずーっと考えていたものを、一気に形にする
コツコツと準備したり、早くやれればいいのでしょうが…
「直前に一気に追い込む」これが一番集中でき、かつ効率の良いスタイルになってしまっています

明日のテーマは「医療について」

つい先日、こんな文章を見つけましたのでご紹介
あのマハトマ・ガンジーの言葉だそうです

マハトマ・ガンジーの言葉
私たちは、ほんのちょっとの徴候で、医者にかけつける習慣があります。よしんば、そうせずとも、理髪師や隣人が、試してみたらと勧めてくれる薬を何でもかでも飲んでみます。どんな病気も、薬なくして治るはずはないと思うくせがついてしまっているからです。

しかしながら、これは、まったくの盲信にすぎず、いかなる原因より苦痛を生み出すことは火をみるより明らかです。病とは何であるかを、もっと先まで見通せば、より知的な方法で問題にアプローチすることができるのです。

どこか切ないところがあるとき、薬を飲んで、苦痛を取り除こうだなんて、ナンセンスな話。こんなことをすれば、からだの組織を害することになるからです。薬を飲むのは、うちの中に散らばっている汚ないものをカーペットの下に隠すのと同じ結果を生みます。むしろ、外へおっぼり出したほうがいいのに! こうした屑はやがて腐敗し、嫌な臭いを出すようになります。さらに、カーペットそのものにカビが生え始め、といった具合で屑の量が増えていきます。だから、まもなく前からあった屑はもちろん、それを隠そうとして、加算してしまった屑まで掃き出さなければならなくなります。

これとまったく同じことが、薬を飲む人には起こるのです。逆に、誰かさんは、屑という屑をうちの外におっぼり出すとしましょう。うちの中はいつもきれいです。実際、諸徴候や痛みといったものは、自然のサインにすぎません。サインを出して、からだの中に不純物がありますよ、と私たちに知らせてくれるのです。

自然は即刻、自己掃除システムを作動させます。徴候や病気が現れれば、それは私たちに、からだの中に毒物がありますよと知らせる一方、もう一方ではからだが浄化工程に入りましたよ、と知らせているのです。

ありがたいことに、うちには誰か彼かが来て屑を追い出してくれます。掃除仕事が終わらない限り彼がいるわけで、その間、私は少し窮屈な思いをするのですが、じっと辛抱しなければなりません!  これと同じで、自然が私のからだを掃除してくれる間辛抱すれば、ぐんぐん元気になり苦痛とおさらばできるでしょう。

私は、ぞぐぞくと悪寒がしても、慌てて薬を飲み込みはしません。私にはわかるのです。不純物が、からだのある数箇所に溜ったので、自然が除去し始めたのだ、と。だから、自然にげたを預け、からだの掃除仕事をしてもらいます。もし反抗すれば、仕事は倍になってしまいます。毒の掃除をするばかりでなく、私の反抗をも打ち破らなければなりませんから。

もっとも賢い姿勢は、いわずもがな、自然を支援し、からだに一切の毒を入れないことです。そうすれば、排除作業はすごく楽になります。例えば、病気の間は食べるのをやめ、新しい毒を摂取しないようにします。そして、新鮮な空気のもとで、できる限り運動をして、皮膚や肺から不純物が排泄されやすいようにしてやります。このような当たり前の方法が、身体をどんな病からも開放してくれるのです。

経験により明らかなように、薬というものはいったん私たちの生活に入りこむと、二度と出ていきはしません。数限りない人々が、生涯ずっとあれやこれやの病気や故障に苦しんでいます。そうして、薬を一つずつ増やし、医者から医者へと渡り歩くだけです。お先真っ暗のまま、今度こそ治してくれる医者をと探し求めています。

薬屋は原価いくらもしない製品を目の飛び出るほどふっかけて売ります。実際入っている物質の何百倍もの価格を払って薬を買うのは、ざらです。これをお読みくださっている皆さん、どうかここを理解してください。ちょっと病気の症状が現れたくらいで、すわ一大事と、医者へかけこんだり、薬を買ったりする必要なぞないのです。医者がみな不誠実というわけではないのですが、ほとんどの医者は、薬の危険性に気づいていません。
  (1913年11月1日付「インドの意見」に記載)

1913年(今から100年前)の時の文章が、現代にも全く当てはまるのは驚きますが、
この文章は、今後もずーっと、全く古びること無く通用するんじゃないでしょうか

ご紹介でした

2014.12.10 Wednesday  
Non Credoの会 | comments(0) | -  

コメント
コメントする